人生色々色

日常の出来事を色々書きたいと思います。

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桜  満開



今日は、東京は花冷えです。結構寒いですね。夕方から雨が・・・・

桜の時期はいつもこれだ・・・・・

それでという訳ではありませんが、昨日撮った桜の写真これが近所の公園で撮ったヤツ。

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これも近所の公園。
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見事でしょう?これが一番良いかな。事業所内の写真。内緒でUP!
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枝っぷりが良いでしょう? 素晴らしいなぁ。勿論、木を褒めてるんですよ。
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今年も、桜を楽しむのもあと1週間位かな。

ほんとに花の命は短いな。

それがまた良いところなのかな。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」(林 芙美子)

という言葉思い出してしまいました。
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Eagles - Hotel California - Live

ジョージハリスンが「泣きのギター」なら、「ギター協奏曲?」「哀愁のギター?」様々な形容が思い浮かびます。
  そのアコースティックなギターサウンドとドン・ヘンリーのハスキーボイスで多くの人々の心を今も惹きつける、長く愛されてるグループといえばEagles。
  わたしが20代前半の頃、鮮烈なデビューを果たした。デビューするやいなや多くのファンを獲得した。
   これがデビュー曲だとばかり思ってたが、「Take it Easy」だったんですね。
この曲もまた好きですけど、今日は「Hotel Carifornia」を貼り付けます。ずーっと探しててやっと見つけることができました。




イーグルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

基本情報
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
ロサンゼルス
ジャンル ロック
カントリー・ロック
フォークロック
活動期間 1971年 – 1980年
1994年 – 現在
レーベル アサイラム・レコード
ゲフィン・レコード
共同作業者 Poco
ザ・フライグ・ブリート・ブラザーズ
ディラード & クラーク
ジェームズ・ギャング
公式サイト www.eaglesband.com
メンバー
グレン・フライ
ドン・ヘンリー
ジョー・ウォルシュ
ティモシー・B・シュミット
旧メンバー
ドン・フェルダー
ランディ・マイズナー
バーニー・リードン

イーグルス(Eagles ※定冠詞「The」をつける表記は正式なものではない)は、1971年にデビューしたアメリカのカントリー・ロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら、全世界的人気を獲得した米国のトップ・バンドのひとつである。

結成から現在まで
イーグルス(Eagles)はヴォーカリスト リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt )のバンド Linda Ronstadt & Her Band のメンバーとして集められたグレン・フライ(Glenn Frey )、ドン・ヘンリー(Don Henley )、ランディー・マイズナー(Randy Meisner )、バーニー・リードン(Bernie Leadon )の4名が独立して1971年8月に結成され、リンダ・ロンシュタットが所属していたアサイラム(Asylum)レコード(拠点・ロサンゼルス)からデビューしたバンドである。メンバーのグレン・フライが当時同一のアパートに居住していたシンガー・ソングライターのジャクソン・ブラウン(Jackson Browne )と共作した、デビューアルバム『Eagles (イーグルス~邦題:「イーグルス・ファースト」)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy (テイク・イット・イージー~「気軽に行こう」の意)」がいきなりヒットし、瞬く間に1970年代に一世を風靡したウエストコースト・サウンドの代表の仲間入りを果たした。

1976年に発売されたベストアルバム『Their Greatest Hits 1971-1975 (グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」)』は、全米だけでも2,900万枚以上の売り上げを記録して全米歴代で最も売れたアルバムとして君臨し、プラチナ・ディスク認定第1号ともなった記念碑的作品となるなど、バンドの確固たる地位を築いた。




”while my guitar gently weeps special edition”

わたしが小学生の頃というのは、グループ・サウンズが華やかな頃であった。

あちらこちらで学生素人バンドが誕生し、賑わっていた。

にわかコンサートが開かれ、有名なバンドのコピーをして様々な素人バンドが演奏するのを楽しんだ。

見るほうも、あまり娯楽のない時代だったので、大いに楽しんだ。そんな背景の中で、わたしたちもまたご多分に漏れず、バンドを組んだ。
 メンバーは、リーダーが小6生,もう一人が小5の人,そして小4生だったわたしと友人の4人。
時々、メンバーが入れ替わったりということもあった。わたしたちは、学校のあるときは毎日のように
小学校の校庭の片隅に集まって、音楽談義に華を咲かせたり、練習したりしたものだ 。

小学生といっても練習は本格的で放課後には、毎日集まっては、練習した。
わたしの担当は、ドラムで、ドラムセットは無かったので、本を重ねてにわか仕立てのドラムにして、
練習した。

そのときのわたしの憧れのドラムスは、もちろん、the Beatlesのリンゴ・スターであった。

 普通ドラムというのはスティックを左右違う持ち方をするものだ。
しかし、リンゴのそれは違った。両方同じように持つ。左利きだからだろうか。最初は、奇異に
映るがしばらくするとそれが素晴らしくカッコイイのだ。それでわたしもその持ち方を真似ていた
た。youtubeでこのVを見つけて、当時のことを懐かしく思い出した。

"while my guitar gently weeps "を再び取り上げる。(先のブログでも取り上げたが)ここでは、ザ・ビートルズのドラムス、リンゴ・スターに注目して欲しい。
では、写真を貼っておきます。250px-Ringo.jpg


楽しんでください。






リンゴ・スター出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リンゴ・スター
Ringo Starr

基本情報
出生名 リチャード・スターキー
別名 リンゴ
出生日・地 1940年7月7日(67歳)
出身地 イングランド・マージーサイド州・リヴァプール
ジャンル ロック
職業 ドラマー、シンガー・ソング・ライター
担当楽器 ドラムス
活動期間 1962年-現在
レーベル EMI
事務所 アップル・コア
共同作業者 ビートルズ
公式サイト www.ringostarr.com
著名使用楽器
ラディック・オイスター・ブラック・パール・セット


”While My Guitar Gently Weeps” Acoustic George Harrison

ビートルズの中で、ジョージ・ハリスン一人目立たない存在だったように思う。

そこがまた、彼の魅力でもあった。

ちょっとはにかんだような、憂いのある表情。
それが、音楽にも反映されたのだろうか。

ビートルズの曲の中でも、とりわけ名曲といわれている。

”While My Guitar Gently Weeps ”
搾り出すようなギターの音色。郷愁をさそいます。では、このビデオを見ながら、在りし日の”ジョージ”を思い出しながら、一緒に歌いましょう。




ジョージ・ハリスン出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

基本情報
出生日・地 1943年2月25日
出身地 イングランド リヴァプール
死没日・地 2001年11月29日(58歳没)
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロック、サイケデリック・ロック、ポップス
担当楽器 ギター、ベース、歌
活動期間 1958年~2001年
共同作業者 ザ・ビートルズ
トラベリング・ウィルベリーズ
プラスティック・オノ・バンド
エリック・クラプトン
影響 カール・パーキンス
チェット・アトキンス
ラヴィ・シャンカル

著名使用楽器
ギブソン・J-160E、グレッチ・カントリー・ジェントルマンほか

ジョージ・ハリスン MBE (George Harrison,MBE[1]、1943年2月24日[2] - 2001年11月29日) は、イギリス・リヴァプール出身の、ロック・ミュージシャン(歌手・ギタリスト)、映画プロデューサー。ロック・バンド、ザ・ビートルズのメンバーの一人として1960年代に世界を制覇し、グループ解散後はソロ・アーティストとして「マイ・スウィート・ロード」「ギヴ・ミー・ラヴ」「二人はアイ・ラヴ・ユー」「過ぎ去りし日々」「セット・オン・ユー」などをヒットさせ、「最も長い間ヒットを飛ばし続けた男」としてギネスワールドレコーズ(旧称ギネスブック)に認定されるまでに至った。身長5フィート11インチ[3]。

発表したアルバム枚数はそう多くないものの、常にチャートでは上位に食い込み、たびたび大ヒットを飛ばした。中でも1970年に発表された『オール・シングス・マスト・パス』は、ロック・アルバムの金字塔として高く評価されている。

ジョージ・ハリスンは1969年のデラニー&ボニーのライブツアーに参加したことをきっかけにスライドギターを習得したと言われ、名手としての地位を確立した。そして「フリー・アズ・ア・バード」、「リアル・ラヴ」などの曲中で演奏した。

2001年に肺癌と脳腫瘍のため逝去。1988年にビートルズのメンバーとして、2004年に個人としてロックの殿堂入りしている。現在「Sir」の称号を故人として初めて授与するかどうか議論されている。

楽しんでいただけましたか?

怖ーい話

 わたしは、若い頃、 板前をやっていたことがある。板前という職業、ご存知のように「包丁一本」で色々なお店を渡り歩く。その始まりがこの東京近郊の温泉場であった。
 
週末、年末、年始さらにゴールデンウィーク、夏季が書き入れ時で繁忙であった。
わたしの勤めていたお店は中堅で老舗。少しは名の知れた割烹旅館であった。わたしの毎日は、朝早く朝食の準備から始まった。6時ごろだったと思う。それが済むと夕食の仕込みを少しして、お昼休みに入る。15時ごろから夕食の支度が始まり、19時ごろには終わる。その毎日が「世の中にはこんなに面白い仕事があるんだ」と思えるぐらい楽しかった。
 
昼休みには橋を渡ったところにある大きなスナック喫茶でよく時間をつぶした。そこのお客さんは、様々で観光客から地元の商店主やらその筋の人たちがよく来ていた。僕は割りとその筋の人たちに好かれていたようで、親しくなった人も多い。
 
しかし、厄介な人もいた。

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女帝君臨:「ないの?」事件



わたしの家族は4人家族である。家族を紹介しておこう。

まず、力のある順に、


①女帝として君臨してるのが妻である。(この辺はどこの家庭でも同じかな?)
次に来るのが、②小皇后:娘である。というかこの辺は微妙で女帝と小皇后の力関係は拮抗していて
時に逆転するときもある。わたしなどは、完全に馬鹿にされてる。

その次③が息子で、最後に来るのが不肖わたくしめである。


4人とも割りと映画が好きで、よく見る。

妻はあまりハードボイルドが好きではないが、わたしと息子、娘は、何でもジャンルの区別なく
よく見るのである。


ある日、わたしが仕事から帰ってきたら、ツタヤから借りてきた、「ダイハード-4」のDVDがセットされていた。
 
食事が始まり、子供たちが食事しながら映画が見たいと勝手にDVDをかけはじめた。

ご覧になった方はよくご存知であろうが割りと早い段階でヘリと車の追いかけっこが始まる。
そのときの妻の眉間にはしわが深く刻まれていた。わたしはそのことをいち早く察知していたので、ソロソロ「他の番組にしよう」といわれることを予想していた。

場面は、敵のヘリがジョン・マクレーン刑事の車を銃撃しながら追いかけている。逃げ場は、なさそうだ。他の車に激しくぶつかりながらも銃弾を受けながら、逃げまくる。

ヘリが車を追いかけるシーンが大写しになる。誰もが楽しんでいるそのときである。

女帝が口を開いた。

ないの?」

普通にではなく、ちょっと不機嫌に叫ぶ感じである。

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サーフィン

若い頃サーフィンに夢中だったことは、既に書いたがそのときの一つのエピソードを
書いてみようと思う。

その当時(今から24~5年前)サーフィンに行くというと、車2台で分乗して行った。男が3~4人、女性がやっぱり3~4人女性はのなかにタレントの卵がおり、その女の子がだいたい女性たちを誘って連れて行くというそんなパターンであった。そのタレントの女の子は毎回同行してくれた。

やはり、そのタレントの女の子の紹介だったと思うが、セミプロのカメラマンがいてサーフィンを
撮ってみたいということであった。その人は、有能な人で本職は当時流行ったスタジオミュージシャン。
その人には結婚したばかり奥様がおり大学を卒業したばかりの22歳であった。超ミニをはいておりまわりに色気を振りまいていた。

そのときは、3台に分乗していったような記憶がある。

場所は、千葉の千倉で、割りといつも波が高くて、岩がところどころ露出しており、その周りだけ異様な渦を巻いている、そんなロケーションであった。

正直決して良い波ではなく、オンショアで波はチョッピーであった。つまり海からの風で波はあちらこちらからランダムに入ってくる一般に乗りにくい波であるが、探せば時々良い波も入るので、せっかく遠くから来たことだし、ここで入ることにした。

普段はトライフィン(3枚のひれボ-ドの裏についている制御装置のようなもの)の板を使っていたのだが、修理に出していて、友人の古いシングルフィン(1枚のひれ)を借りて使うことにした。

夕方暗くなるまでわたしたちは、十分にサーフィンを堪能した。

カメラマン氏はというと海岸から撮影してる様だった。良く撮れてるのだろうか。
女の子たちは、甲羅干ししたり酒盛りしたり、めいめい楽しんでるようだった。


後日、そのときにサーフィンに行った人たちと、恵比寿の屋台で飲むことになった。
わたしと、カメラマン氏とその奥様が並んで座り、他の仲間はちょっと離れたところで飲んでいた。

そのときに、そのカメラマン氏、「あなたのサーフィンがとてもカッコ良かったので妻があなたと寝たいと言っている」その奥様もわたしの返事を待っているようで、身体をこちらに寄せて聞き耳を立てている様子。

わたしの頭の中で色々な考えがグルグル回転する。「イエス」と言えば大ヒンシュクだろう。「ノー」と言うには「もったいない」しばらく考えた末、「何を血迷ったことを言ってるのか」。といわんばかりに決然と「ノー」と言い放ったのです。奥様は、がっかりした様子だったが、それは、多分正解だったと思いたい。

友人として、やはりそれは出来ない相談だ。

そのときの写真はいまだにわたしのところには届いてない。

若かりし頃の忘れられない思い出です。

Kalapana(カラパナ) / Many Classic Moments



 20代の頃、サーフィンにハマってた時期がある。そのときにサーファーの間でこのグループの曲が流行っていた。
  わたしもこのグループの曲に魅入られた。というかサーファーが聴く曲イコールカラパナという時代であったと思う。時々公会堂などを借り切って、サーフィン映画なるものが上映された。一種独特の世界であった。
 同じような髪型、同じようなファッションの若者が、われこそが真のサーファーとばかりに虚勢を張って集いあうのである。
  わたしはそういうところに行くのは気が進まなかったが、サーフィン映画が観たかったので、いやいやながら観にいった記憶がある。数あるサーフィン映画の中でも高い評価を得た映画だと記憶している。「メニー・クラッシック・モーメンツ」懐かしい映画です。youtubeで発見したので、アップしておきます。一部だけですけど、楽しめると思います。









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